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6月17日、告別式。

ずいぶん早くに
目が覚めてしまった。

人生初の喪主を務めることに
緊張しているのだろうか。

昨日まで降り続いていた雨も上がり、
早朝の空には青空も見える。

午前8時41分、斎場到着。

すでに母方の親族が
到着していた。

母は認知症を発症しても
親族の顔はわかるようで
とても懐かしそうに対面した。

控え室の前で
9年ぶりの再会を果たした親族と
立ち話をしていると、
続々と他の親族が集まってきた。

遠方からは父の弟にあたる
叔父夫婦、あとは母方の親族ばかり。

開式は午前10時から。

まだ時間があるので、
介添人の方に促されて
控え室に移動した。

親族との会話に加わろうと思ったが、
葬儀屋さんとの打ち合わせと
費用の支払いがあったため
私ひとり離れたテーブルに座った。

何が緊張するって
喪主の挨拶だ。

そもそも私は友達の結婚式で
両家のご両親や本人たちより先に
祝辞を述べている最中に
泣き出したことがある。

親族でも何でもないのに
友人代表で祝辞を述べるだけなのに
感極まって泣いた。

それから、祝辞の類は
頼まれても断ってきた。

とにかく、話下手。

ライターだったこともあって
文章だったら何の苦労も努力も
必要としないでスラスラ書ける。

しかし、トークスキルが皆無なのだ。

若かりし頃に自分のラジオ番組を
持っていたりもしたが、
とにかく話すのが苦痛で仕方なかった。

原稿料より高いギャラが
支払われようがもう二度と
話す仕事は受けまいと心に誓ったほど。

こんな時、亡くなった父の
トークスキルがあればと痛感する。

父は人前で演説をぶちかますのが
とても得意な人だった。

なまじ博識なだけに
話が長くなるのが玉にキズだったが。

一応、白い便箋に薄墨で
挨拶の言葉を書き綴ったが、
その一言一句何ひとつとして
頭に入ってこない。

出棺する時のタイミングで
挨拶するらしいが、
冷静でいられるだろうか。

続いて、読経をお願いする
住職さんから法話を聞く。

頼んでいた戒名の解説。

そして、供養の心がけ。

遺された者にできること。

ひとしきり話を伺って
お布施をお渡しする。

午前10時、開式。

喪主の席は、遺影に向かって
右側の最前列。

できればこんな席に
座りたくなかった。

喪主なんて努めなくなかった。

でも、訳あって実父の葬儀に
参列できなかった知人から
自分の家族の喪主を務められる幸せもあると
言われて、なるほどと思った。

ちゃんと見送ろう。

大役を果たそう。

住職が唱える読経を聴きながら
遺影を眺める。

その遺影の前に父の亡骸があるのかと思うと
いくら認めたくないと喚いても
否応なく父の死と対面させられ
自然と泣けてくる。

前日に買った
真っ白なハンカチが
涙で濡れていく。

本当にちゃんと挨拶できるだろうか。

そればかりが
気になる。

読経は40分続いた。

そして、お焼香。

お焼香の順番は
喪主が一番最初だ。

間違えるわけにはいかない。

曹洞宗は2回に分けてお焼香する。

1回目は左手を添えて
おしいただき、
2回目はそのまま香炉に落とす。

一番手でお焼香を済ませて
親族のお焼香を見ていると
結構、みんなバラバラ。

形より気持ちが大事だから
いいんだけど。

親族全員がお焼香を済ませると
続いて、初七日の法要。

再びお焼香の順番が回ってくる。

これが終わったら、
いよいよ出棺だ。

出棺の準備があるからと
親族は部屋の外で待機。

みんな口数が少ない。

お待たせしました、と扉が開くと
遺影の前に横になっていた棺が
部屋の中央に置かれている。

父と最後の対面。

葬儀屋さんが用意してくださった
生花を父の棺に敷き詰めていく。

だめだ。

この儀式が一番辛い。

季節的に紫陽花も用意されていた。

真っ白な紫陽花。

あらかじめ棺に入れたい物を
用意するように言われ、
私は父が大好きだった煙草と
何度も読み返していた小説と
国家公務員時代に頂いた表彰状を
そっと棺に入れた。

禁煙できずに長年吸い続けた結果、
動脈硬化を起こして命を落とすきっかけと
なった煙草を棺に入れるのは躊躇ったけど、
これがないと父は眠れなかった。

葬儀屋さんが気を利かせて
煙草のパッケージを開けて
吸いやすいように1本だけ突出させてくれた。

親族みんなが泣きながら
生花を添えていく。

母が「触ったらいけないのかしら...
最後に触りたい」と言って
父の頬にそっと触れた。

「氷のように冷たい」

9日に命を落としてから
17日の告別式まで
ドライアイスに囲まれて
霊安室で眠り続けてきたから
冷たいのは当たり前だけど...

私も父の額にそっと手を当てた。

冷たい。

当たり前だけど、その冷たさが
もう目の前の父が生きていないことを
実感させる。

私は泣き崩れた。

なのに、このタイミングで
喪主の挨拶をせねばならない。

涙声で必死に
挨拶文を読んだ。

父の死因。

父の最後。

父の回想。

そんなことを盛り込んだ内容を
一字一句絞り出すように話した。

棺の蓋が閉まる。

もう父には会えない。

男性遺族によって棺を持ち上げられ、
台車に置かれた。

私は遺影を渡された。

母には白木位牌が渡された。

遺影を持って歩くなんて
人生で何度あるかないか。

父の遺影を抱えるように持ち、
火葬場まで歩いた。

私が父の最後の場所として
選んだ斎場は火葬場も併設されている。

父の棺が炉の中に入っていく。

もう父の顔も姿も声も
見れないし聴けない。

炉の中で劫火によって焼かれることを
想像すると身震いがした。

火葬には時間がかかる。

再び遺影を抱えて
控え室へと移動した。

叔母さんや従姉妹に労いの言葉を
かけられても頷くくらいしかできない。

ひとりになりたくて
トイレに行く。

ひどい顔だ。

泣きすぎて所々ファンデーションが
落ちている。

左手に数珠を持ったまま
化粧直しをして控え室へ戻る。

途中で叔父さんに出会う。

「納骨はどうするんだい?
こっちの墓に入れてもいいけど、
遠いから墓参りが大変だろ。
でも、ちょくちょく行ってやんないと
兄貴が可哀想だよ?」

できれば、近県にある
母方の墓に入れてもらえればいいが、
たぶん定員オーバーだろう。

どうしたらいいんだろう。

葬儀をあげて終わりではない。

やることは山ほどある。

しかも、慣れないことばかり。

ガラス張りの斎場の外を眺めると
突き抜けるような青空が広がっている。

外は暑そうだ。

控え室に戻って程なくして
火葬が終わった。

再び火葬場へ移動する。

炉の中からは父の姿形を
取り留めない焼かれた骨片だけが
出てくる。

私と母とで箸を使って
遺骨を骨壷に入れていく。

私と母に差し出された骨は、
大腿骨の大きい骨。

親族がひと通り遺骨を
入れ終わり、係員さんが説明する。

「とてもしっかりとした遺骨で
いらっしゃいます。これは喉仏の骨で、
僧侶が座っている姿に似ていることから
喉の仏という名がつきました。
身体の大きい方だったので遺骨も
大きく、たくさんありますから、
骨壷いっぱいになります」

大きな骨壷だが本当に
入りきるかどうかというぐらい
しっかりと大きな骨がたくさんある。

細かい骨をすくうスコップのようなもので
骨を軽く砕きながら入れていくと
満杯の状態で蓋を閉じた。

骨まで立派とは
さすが父。

喪主である私は遺影、
母は位牌を持つため
叔父さんに骨壷を持って頂いた。

控え室まで戻ると
会食の用意がされている。

とてもじゃないけど
食欲なんかない。

それでも、食べなくては。

引き出しに納められた
お重をひとつひとつ出して
箸をつけていく。

飲み物は?と係員さんに聞かれ、
冷たい烏龍茶を頂いた。

父の御霊前に置くグラスにも
烏龍茶を注ぐ。

お茶の好きな人だった。

緑茶やほうじ茶、玄米茶を
好んで飲んでいたが、
この時、お茶は烏龍茶しかなかった。

献杯の時に
また挨拶をせなばならず
用意してきた挨拶文を読んだ。

一昨年。

母の妹にあたる伯母が
登山事故で亡くなった。

その時、喪主を務めた
長男はたいそう立派に挨拶したのを
覚えている。

私の番になったら
こんなに見事に挨拶できるだろうかと
心配しながら挨拶を聞いたっけ。

その長男もこの日は
駆けつけてくれた。

「亡くなった父と戒名が似てるんですよね。
生前散々お世話になったから、なんか嬉しいです」

父の話になると、
異口同音で「世話になった」と言う。

大きい身体同様、
みんなから頼りにされた父。

こうしてみんなの心に
生きた証を残したんだから
その生き様は立派としか言いようがない。

本当に父を誇りに思う。

親族で和やかに会食した後は、
みんな思い思いに会話を弾ませ、
従兄弟が持ってきた祖父の遺品である
映像をノートパソコンで観たりして過ごした。

午後12時50分。

お開きだ。

私は骨壷を抱え、
彼氏が運転する車に乗り込んだ。

生まれて初めて持つ
骨壷は焼いた後の熱のせいか
温かかった。

斎場から自宅までは近い。

彼氏は着替えると
仕事に出かけ、
私と母は骨壷や遺影、
生花、線香立てなどを置く
中陰台の設置をした。

まだ6月だというのに
真夏のような陽気。

のろのろと礼服から
普段着に着替えて落ち着く。

けれど、しばらく何も
手につかなかった。

母とふたりでボーッと
御霊前を眺めるだけで
何もできない。

パパ。

もうひとりじゃないよ。

実家よりだいぶ狭い
このアパートだけど、
ママもいるし、
私もいる。

ひとりにしてごめんね。

本当にごめんね。

生きる気力を失った末の
死だったんだろうな。

長い人生、お疲れさまでした。

どうぞ安らかに眠ってね。


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その日の夜。

ベランダで父の遺品である
ライターを使って煙草を吸っていると
夜空には満月が浮かんでいた。

その側に寄り添うように
瞬くひとつの星。

父は星になった。