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父を亡くして69日目。

この間、人生で一番忙しかった。

と、言いたいところだけど、
身体を壊して膠原病の全身性エリテマトーデスに
罹るくらい寝ず食わずに激務をこなした20代に
比べると、そうでもない。

学校行って、ライブ行って、
原稿書いて、朝まで飲んで、
そのまま学校行ってた10代もハードだった。
 
でも、精神面で言えば、
今が一番ツライ。

書類や電話連絡でいちいち父の死を
確認していたはずだったのに
69日経った今でも受けとめられないでいる。

まだ実家に行くと
テレビの前で父が座っているような
気がしてならない。

もう仏様となってしまった父の御霊前でも
生前と変わらず話しかけている。

それまで生きていた肉親が
目の前からいなくなる感覚に
いまだに慣れない。

父の死後の手続きは
本当に大変だった。

それに加えて、母の病状悪化である。

父が亡くなって暫くは
気丈に過ごしていたけれど
6月17日の告別式から
少しずつ母は不調を訴え始めた。

最初は、歩けない。

10年前に手術した脊椎間狭窄症のところが
痛むと言い出したので、父が借りていた
車椅子で首や腰の専門病院である
品川志匠会病院へ。

MRIの結果、手術したところは異常なし。

ただ、手術した部位の上下が
潰れていてそれが原因では?との事で
痛み止めを常用するようになった。

しかし、その痛み止めは
麻薬並みに鎮痛作用はあるものの
吐き気と眠気の副作用が激しく
床に伏せることが多くなった。

脊椎間狭窄症の手術をしてもらった
九段坂病院で診てもらうと、
腰が原因ではなく、
パーキンソン病では?とのこと。

急遽、東京医科歯科大学附属病院の
神経内科で詳しく診てもらうことに。

心筋シンチグラフィーの結果、 異常なし。

MRIの結果、3つの病気が疑われた。

パーキンソン病
レビー小体型認知症
脳血管性パーキソニズム

今年1月のMRIでは
アルツハイマー型認知症と診断された。

それからたった半年で
こんなに具合悪くなるのか?と思うほどに
母は歩けなくなる以外に
全身がこわばって痛みを訴え、
食事ができなくなり、
手が震えて布団さえ自分で直せない状態だ。

すぐに介護区分変更の申請をした。

もはや要支援1ではない。

どこの病院へ行っても
要介護1か2ではないかと言われる。

父が要介護2だった。

それを考えると、要介護3でも
おかしくない。

それほど弱ってしまった母。

まだ介護区分変更の見直し調査の
結果は出ていないけれど、
早急に介護サービスが必要だと
母のケアマネージャーさんに言われ、
今日、新しいケアマネージャーさんと
介護用品を扱う所長さんが
来訪してミーティングをした。

すでにリハビリ型デイサービスには
通っていて、介護用ベッドと
リハビリパンツを取り入れたばかり。

あとは、入浴介助型デイサービスと
私と彼氏が仕事で留守している間に
お世話してもらうヘルパーを
お願いすることになった。

パーキンソン病だとしたら
命に別状はないが、
運動訓練などのリハビリをきちっと行わないと
本当に寝たきりになってしまう。

父を亡くした後に
母の介護がこんなに重度になるとは。

父の死後の手続きが落ち着く間もなく、
母の通院、介護、手続きと
忙しい上に精神的にツライ。

11日からのお盆休みも
ほぼ休めなかった。

10日、東京医科歯科大病院
11日、介護区分変更見直し調査
12日、父の車椅子返却
13日、染川医院へ申請書&介護ベッド到着
14日、唯一の休日
15日、介護ミーティング

これだけではない。

勿論、母の不調により
母がやっていた家事をすべて私がやっている。

料理、掃除、洗濯、買い物、皿洗い等。

ここまで頑張れるのも
一緒に暮らして支えてくれる
彼氏もとい婚約者がいるからこそ。

精神的に一番ツライのは確かだけど、
それでも婚約者がそばにいてくれることで
どれだけ助かっていることか。

唯一の休日に、江戸三大祭りである
深川八幡祭りに行ってきた。

4年に1度の本祭と違って
陰祭だったため
午前中で終わってしまうし、
屋台の数も本祭では300はあるというのに
ほんの少し数える程度だった。

それでも、婚約者と一緒に
屋台で食べ歩きするのは本当に楽しい。

深川不動尊でお参りした時、
水に溶ける紙に願い事を書いて
龍神に祈願してきた。

それが冒頭の写真である。

願い事を書いた紙を水に溶かして
ドラを2回鳴らして祈願する。

今、気づいたけど、
祈願料100円払ってない!

わー、龍神様、ごめんなさい!

たまには手を抜きなよ、と
婚約者が言ってくれるけど、
この初盆はきちんとこなそうと
前から考えていた。

仏様は湯気でご飯を召し上がるので、
炊きたて、作りたてではなくてはいけない。

父の好きだったものを作ろうと
張り切ってお煮染めや漬物、焼き魚などを
用意して御霊前に供えた。

花は毎週水曜日に取り替えている。

水は毎日。

お線香は朝晩2回。

お坊さんのように読経してあげることは
出来ないが、供養する気持ちはちゃんとある。

ああ、そうそう。

胡瓜と茄子で精霊馬と牛も作った。

迎え火と送り火を灯す
提灯も買った。

私のお盆休みも今夜が最後。

怒涛の様な69日だったけど
これからも大変なんだろうな。

婚約者がいなかったら、
とっくに母と心中してるくらい
苦しいけど、彼がいるから頑張れる。

私はNo Family,No Life!

家族の笑顔のために
頑張るぜ!



BGM:家族が寝静まったため、無音